トーベ・ヤンソンのヘルシンキ

Tove Jansson in her atelier in Helsinki
Lead text
トーベ・ヤンソンは、フィンランドで最も有名で愛されているアーティストで、世界中でもっともよく読まれているフィンランドの作家です。彼女は多才なアーティストで、ムーミンの生みの親でもあります。ムーミンの本やアニメに加え、短編小説や小説でも有名です。
A black and white illustration of Tove Jansson with the Moomin family, done in the same drawing style as Tove Jansson.
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トーベ・ヤンソンのヘルシンキツアーをご紹介します。

トーベ・ヤンソンの幼少期の家

トーベ・ヤンソン一家は、1914から1933年までカタヤノッカに住んでいました。 
Luotsikatu 4

トーベ・ヤンソン公園

トーベはウスペンスキー大聖堂やその隣の公園でよく遊んでいました。2014年にその公園はトーベ・ヤンソン公園となりました。彼女の家があったLuotsikatuは、かつてこの公園を横切っていました。 
Satamakatu, Kanavakatu 1

ハルコ埠頭(Halkolaituri

冬になるとトーベはここでアイススケートを楽しみました。またこの埠頭からは(彼女の夏の島クルーヴハルのある)ペッリンゲへのフェリーが運航していました。
Halkolaituri, Pohjoisranta

Japanese

『住所のない島があったら、人のためになると思う』

トーベ・ヤンソン 1962年
Tove Jansson
In a picture postcard like scene, people are skating on the ice at Halkolaituri dock in winter. A couple of sailing ships and colourful apartment blocks are in the background.
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エスプラナーディ公園

トーベ・ヤンソンは、彼女の父親ヴィクトル・ヤンソンの作品、噴水の水の精の大きな人魚のモデルとなりました。彫像は公園のカッペリ(Kappeli)レストランの近くにあります。 
Esplanade park

スウェーデン劇場(Svenska Teatern

トーベ・ヤンソンの友人で、劇場監督のヴィヴィカ・バンドラーは、ムーミンの物語を劇場で上演するということを思いつきました。ヤンソンはそのアイデアに刺激され、それまでに発行されたムーミン物語の最初の三作を基にして脚本を書き始めました。19491229日、トーベ・ヤンソンのムーミン谷の彗星(Mumintrollet och kometenスウェーデン劇場(Svenska Teaternで初演されました。観客も批評家もこの作品が気に入り、19回公演が行われました。しかし、観客の中にはこの劇の内容や言葉が小さな子どもに適さないと考える人もいました。それにもかかわらず、ムーミン谷の彗星(Mumintrollet och kometenは、数々の劇場作品を生み出した興味深く素晴らしいトーベ・ヤンソンの新しい時代を記念するものとなりました。 
Pohjoisesplanadi 2

Japanese

『人間も、みんなにこわがられるようになると、あんなに、ひとりぼっちになってしまうのさ。』

トーベ・ヤンソンの作品『ムーミン谷の彗星』から。訳:下村隆一

人魚の噴水

ヴィクトル・ヤンソン(Viktor Jansson)の人魚の噴水。彫像のモデルは娘のトーベ・ヤンソンだと言われています。
Eteläesplanadi 22 (中庭)

トーベ・ヤンソンのアトリエ

トーベ・ヤンソンは、1944年から2001年に他界するまでここで暮らしていました。トーベの生涯のパートナー、トゥーリッキ・ピエティラも同じ建物にアトリエを構えていました。フィンランドのスウェーデン語作家協会が発注した記念の飾り版は、ヴィクトル・ヤンソンが作ったトーベの少女時代の顔のレリーフです。アトリエは一般公開されていません。 
Ullanlinnankatu 1

Design Museum

トーベの小学校はここにありました。1978年からデザイン博物館となっています。
Korkeavuorenkatu 23

HAM ヘルシンキ市立美術館のトーベ・ヤンソン

この美術館はトーベ・ヤンソンの作品を常設展示するヘルシンキで最初の美術館です。展示作品にはトーベ・ヤンソンのもっとも重要な作品の二つ、フレスコ画『都会のパーティー』 『田舎のパーティー』があります。「都会のパーティー」のフレスコ画には、当時のトーベの人生を反映するものも見受けられます。ダンスフロアのダークな美しさは、当時のトーベの劇場監督ヴィヴィカ・バンドラーへの(秘密にしていた)愛情を表現しています。フレスコ画の最前面にはトーベ・ヤンソン自身が座っていて、彼女のほかにテーブルには小さなムーミンのフィギュアが描かれています。この美術館では、トーベの他の作品も展示されていて、ときどき入れ替えられます。
Eteläinen Rautatiekatu 8

Japanese

『今までで一番力強く生きているのが分かる。おそらく最新のフレスコ画が今までの最高傑作、大変だったけど、それが最高傑作につながったのかもしれない』

1947年の春にトーベ・ヤンソンがVivica Bandlerに宛てた手紙
Tove Jansson
Tove Jansson: Party in the City, 1947
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ヤンソン家のお墓

トーベ・ヤンソンはヒエタニエミ墓地に埋葬されました。トーベの父ヴィクトル・ヤンソンが作った像が墓石になっています。
Mechelininkatu 2

ラッルッカ(Lallukka)アーティストの家

ヤンソン一家は1930年代初期からアーティストの家に住んでいました。トーベは1944年に自分のアトリエに引っ越しました。この家は一般公開されていません。
Eteläinen Hesperiankatu 14

Japanese

『前進したい、いえ、ただ動いて前に進むのではなく、人生において先に進みたい』

トーベ・ヤンソン 1947年
Tove Jansson

カイサニエミ公園

ヴィクトル・ヤンソンの作品Convolvulus(コンボルブルス)の像は国立劇場の裏のカイサニエミ公園に立っています。作品の名称は、ラテン語のセイヨウヒルガオ、伝統的にライフラインとしても知られている『convolvulus arvensis(コンボルブルス・アルベンシス)』にちなんでつけられました。この作品は、193031年にヘルシンキ市が公共の像を取得するために行ったコンテストに出品されたものです。トーベがモデルになりました。
カイサニエミ公園

アテネウム美術館

トーベは、1933年から1937年まで現在アテネウムとなっているアートスクールで学びました。ここでトーベは、彼女の生涯のパートナートゥーリッキ・ピエティラ(Tuulikki Pietiläに出会いました。
Kaivokatu 2

Japanese

『とても長い時間遊んでいいことにしているの』

トーベ・ヤンソン 1994年
Tove Jansson
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トーベ・ヤンソンは、フィンランドで最も有名で愛されているアーティストで、世界中でもっともよく読まれているフィンランドの作家です。